物語解体新書

しがない作家志望が物語を解体して分析する、備忘録的ブログです。

続・人物像と、小説が作る世界像

どうもこんにちは伊藤卍ノ輔というものです宜しくお願いいたします。

最近、以前働いていた会社から戻ってこないかというお話をいただきました。自分がその会社をやめたときは社会保障がなくて、給料はまぁそこそこという感じだったのですが。今回誘われた条件ではしっかり社会保障も入ったし、給料もダントツにあげられるとのことでした。景気がよくなったというわけなのです。

でも自分がやめた理由って、社会保障とか給料とかよりもその仕事がどうしても好きになれなかったという側面の方が強くて、しかも現場仕事、具体的に言うと鳶職だったので体力の消耗が激しく、家に帰ったら眠るだけ、みたいな生活だったのです。そうすると小説も書けない。プロット練ったりもできない。

今回の話は借金のある身としては飛びつきたいほどの話なのですが、結局いまの職場にきた理由は給料多少低いけど職場で小説のプロット練れるようなところだったから、というのがあって、元の仕事に戻れば元の木阿弥なわけですごく悩ましいのです。

一年位前にも、これも自分がやっていた仕事である納棺師の大手からお誘いがあって、そこも好条件ですごく悩んだのですがお断りした経緯があるし、今回もまぁ悩むだけ悩んで行かないだろうなぁというのが個人的な結論なのです。

そこでやっぱり思うのは、今の仕事をいまの会社で続けていてもあまり給料があがるような見込みもなく、そうなってくると「小説家になれなかったら将来どうすんの」という不安のオマケ付きで職場に残るしかないということなのです。

売れなかったらとか、芽が出なかったらとか、そんなことを考えないわけでもない、ということなのですが、しかしその不安が本格的に自分を悩ませにこないのは、「大丈夫っしょw売れる売れるw」という自分の生来の楽観主義があるからなのです。

つまりなにが言いたいかというと、そうやって楽観主義な土台の上で、「でも売れなかったら将来は仄暗い感じだよなぁ」というこの不安がいい案配で自分をちょっぴり焦らせるので、その二つがいい感じに作用しあって自分は作家への道を力強く歩んでいけているということなのです。

もちろんいい小説、つまり自分自身で納得できるような小説が書きたくて日々鍛錬しているのですが、だからといって生活への不安が夢への原動力になっちゃいけない理由はない。

自分の信じた道を歩き続けていった先に、生活の不安をも一掃してくれる目標がある、というわけなのです。もちろんそれは果てしない道ではあるんですが。

 

今回は前置きが長くなってしまいましたが、そんなこんなでそろそろ本題にはいりたいと思います。

前回の記事で、人物像を具体的に異化された人物は普遍性を帯びて、そうして作られた人物は地域や時代を超える、的な持論を話しました。そうして、それは小説の作る世界のモデルにまで敷衍することができるんじゃなかろうか、と。

今回はその上で、かなり個人的な見解ながら、じゃあ具体的で普遍的な人物像が、どうやって世界像を作っていくのか、ということをかいてみようかと思うのです。言い換えると、人物像と世界像が、どういう具体的なつながりを持っているんだろうか、ということを話したいのです。

 

ここで、ある物語を通して作者が伝えたい主張があるとします。

よくやりがちで、なおかつ自分も今までそうしてしまっていたなぁ! 思う登場人物の作り方って、この主張に沿って登場人物を配置していくやり方。これって相当注意しないと他者不在の小説を作ってしまうことに繋がりやすいな、と思うのです。

それではちょいと具体的に。

例えばここに、「他人の作ったルールの上で生きていく必要なんかねぇんだ!」という想いの下に書かれた小説があるとします。この主張自体はありふれていながら結構一人一人にとって切実なものだったりするのでとてもいい感じだと思います。

で、主人公は他人の作ったルールの上で生きていながら、違和感を感じる青年。友人Aはちょいと鼻につく感じのエリートで、社会に決められたルールの上を疑問も持たず邁進しているタイプ。そんななか主人公はある日、他人の作ったルールなんて関係なく生きている友人Bに出会います。Bと付き合っていくうちに、徐々に自分の違和感の正体に気付き始める主人公。「いい子」でいることをやめて、一生懸命自分の道を探し始めます。最初は主人公を諫めていたAも、物語終盤になってポロッと「俺だって、こんな日常が正しいかはわかってないんだ」などと口走ったりして、「ああ、こいつも実はそうだったんだな」などという場面もありつつ。最後は実はずっとやりたかったバンドへの夢を追い始めるところで物語は終了し、読者の心に「やっぱり自分で選んだ道を歩くべきなんだ!」という作者の主張が残るという筋書き。

これは既存の話ではなくて、いま自分が書きながら考えたストーリーなのですが、まぁよくあるようなパターンだと思うのです。

いま書いたあらすじには、主人公、友人A、友人B、という三人の登場人物が出てきたのですが、それにも関わらず自分はこの物語に主人公以外には他者はいない、と思うのです。

なぜかというと、この登場人物たちは全員、「他人の作ったルールになんて乗っかるべきじゃない!」という絶対的な価値観の上で悩んだり悩まなかったりしてるから。

例えばこういう物語にでてくる友人Aの役割の人って、大体最初若干嫌な奴風に描かれる。なぜそうなるかと言うと、「他人のルール云々」という価値観の逆を行く人物だから。逆に友人Bは魅力的に描かれる。そうしてAが「実は俺も他人のルール云々の価値観は正しいと思ってるんですけどね」という告白をするシーンに至って、実はいい奴だった的な描かれ方になるのです。

つまり「他人の作ったルールになんて乗っかるべきじゃない!」という価値観を絶対的な善としつつ、それの逆をいけば悪、的な二元論的考え方が根底に横たわっている。そうなってくると実は多様な登場人物がでてくるようでいて、実はその登場人物たちはひとつの価値観を共有しているだけであり、結果的に他者なんて存在していないとも言えてしまうものだと思うのです。

そしてそうなってくると、その物語が構築する世界像って、その主張のもつ幅を出ない、すごく狭いものになってしまうと思うのです。

ではどうするかというと、「ひとつの主張があり、その主張に肉付けするように登場人物を配置する」というイメージではなくて、「ひとつの世界があり、その中で主人公にその主張を託しつつ、しかしその主張に纏わる多様な価値観の人物を描く」というイメージで書くのが大切なのかなと思うのです。

アルベール・カミュの「ペスト」を例に出すと、ある町に疫病のペストが蔓延し、町は閉鎖されてしまいます。その中で、医師として自分にできる範囲で誠実にペストと戦うことを決意したリウー、人々が互いに死刑宣告し合っているような世界の縮図をペストに認めて、それに静かに立ち向かっていくことに決めたタルー、神への信仰を失って罪のない人々の死を無駄にしないために飽くまでも信仰を抱き続けたパヌルー、ペストによって富み、さらに平和だった時に犯した罪が有耶無耶になって喜んでいるコタール他、様々な人たちが描かれつつ、しかもその人たちは絶対的な正義という価値基準の中で作られたわけではなく、飽くまでもペストという不条理の中で人々がどう生きていくのか、ということを多様な観点からとらえるような人物像で、だからこそカミュは誰のことも否定的に書こうとはしないのです。

上記の自分の作ったプロットで言えば、まず友人Aを嫌味な人物と書く必要はなくて、更に「実はAも違和感抱いてました」というシーンはいらないと思うのです。それじゃ主人公と同じ。

だからもしもAを出すなら、Aはしっかり勉強してエリートコースに乗って「やっぱ俺みたいにみんな生きるべきなんだな!」とかいわせてもいいと思う。そのAの価値観の分だけ物語が拡がると思うのです。

更に言うとBはもともと破天荒な性格だけど、主人公はどちらかというと素直な性格なんだろうから、結末として、例えばBにバンド誘われたけど主人公は「俺はお前みたいになれないよ」とかなんとか言ってその誘いを蹴って、それまでの日常に戻りつつも、しかしたしかに今まで知らなかった炎が心の中に宿った、的な終わり方でいいと思うのです。そうやって主人公とAとBをしっかり個々の人間と見做して個性を与えつつ、価値観の違いをしっかり書いていくことで、その分だけ物語が拡がると思うのです。

図にするとこんな感じだろうか。

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違うんですよごめんなさい。失敗しちゃったんですよ。でもこの画像一つ書くのにかなりの時間がかかった上に手の筋が痛くなったんで書き直しする気力が湧かないんですよ。いやあの本当にごめんなさい気を付けますから今回は許してください。

いま考えりゃ余計なことしないでバックキー何回か押せばよかったんだな焦ってしまったよ。

 

……なにはともあれそんな感じなんです!えへへ!

 

というわけでした。最後はなんだか画像のせいで自分の中でアレになってしまいましたが。

やっぱり小説を読んでてすごく心に残る作品って、その小説に出てくる人物一人一人が独自の価値観を持っていて、それによって世界像が拡がっているな、と改めて考えて思うのです。

しかし何度も言いますがこれは飽くまでも完全なる個人的見解であって、異を唱える人が居て当然だと思うし、寧ろ絶対に正しい小説の書き方なんてないと思うのです。

でも自分は色々考えながら読んでいく中で自分なりの小説観が出来ていって、いまはそれを披歴してるに過ぎないのです。そこのところを何卒何卒ご了承いただきたいのです。

またいつものように「いやそれってこうでしょ!」などありましたら教えていただけると大変嬉しいのです。

よろしくお願いいたします。

それでは次の更新にまた!!

 

ペスト (新潮文庫)

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